自分では筆を折ったつもりなのだけれど、案内を頂いたので場違いを承知で愛媛詩話会のセミナーにお邪魔した

このblogのカテゴリに廃墟のような形で残っていることすら自分でも忘れているくらいなんですけど、わたくしは以前、ポエトリーリーディングの真似事のようなことをやっておりまして、世話役を引き受けて朗読会を主催していた時期もありました。今はもう自分では筆を折ったつもりでいますが。

その朗読会を引き継いでいた関係で、地元ではちょっと名の知れたアーティストである絵日記作家の神山さんや、詩人である堀内さんや森原さん達と知り合って時には作品づくりやイベントでご一緒させていただくこともあったわけです。

それで、3週間ほど前だったか、ずっとご無沙汰していた詩人の森原さんから突然電話があって、事務局の仕事もされている愛媛詩話会のセミナーを開催するという案内を頂いたのです。

運営上の都合もあって朗読会を一時休止→そのまま復帰の目処もなく終了→自分の中で作品を作る理由もモチベーションもなくなる、というような状況になっているわたくしには、そう言われてもなあ、という話でした。

そもそも詩話会の皆さんはわたくしにとって、「ちゃんとした詩作をする人たち」であり、ちゃんとしてない詩人もどきのわたくしとは、雲泥の差というか何というか。それ以前に武道なんかで言えば流派が違うというか師範の教えを学びながら自己研鑽というのと自己流で出鱈目に武具を振り回しているだけ、というような違いがあるわけですよ。

なので、そんな人たちの集まりに参加するなんて場違いもいいところなんですけど、電話で聞いた話では、久しぶりに朗読詩をフィーチャーした会にしたいとのことで。だから良かったら参加しませんかと声をかけて下さったようなのです。

発表の場はないけれど細々と書き続けていた、ということだったら「それじゃあ喜んで朗読しに行きます!」と即答するところですが、本当に何一つ書きたい衝動すらわいてこないので、聞くだけでも構わないなら、と少し言葉を濁しておきました。

で、今日がそのセミナーの日だったのですが、改めて案内状を郵送してもらっても、行くべきかどうかは前日まで迷っておりました。スッパリ詩作を絶ったのなら、聞くだけでさえも参加する必要は無いんじゃないかという思いも浮かんだりしたので。

でも当日、前夜寝付けなかった反動で昼前にようやく目を覚ましたわたくしは、瞬時に「ダッシュで身支度して原付飛ばせばギリギリ開始時間に間に合うな」と判断して、駆けつけることにしたのでした。まあ堅苦しいこと言わず、頭に刺激を与えようや展覧会を観に行くような感じでさ、とそんな気分で。

会の本編は、会員の方8名の朗読がメイン。会場だった砥部町のミュゼ里山房のギャラリースペースは、八角形の屋根が特徴的な、落ち着く雰囲気でありつつ何かが起こりそうなワクワクした空気も流れる素敵な空間でした。そこに飛び交うそれぞれの想いを乗せた言葉が、時にグサッと頭に刺さり、時にスルッと胸に染み込み、色々なことを考えさせられました。

それと思わぬ収穫だったのが、ゲストミュージシャンの吉野なつ子さんの演奏でした。吉野さんはなんと、のこぎり奏者なのですよ。木の取っ手が付いた片歯の西洋のこぎりを、歯を目立てせず作った演奏用の楽器のこぎりというのがあって、その背の部分を(包丁でいうところの峰ですね)テグスで作った弓でこすって音を出すのだそうです。

わたくし、のこぎりで演奏と聞いて、てっきり木材を切ったりしてゴリゴリキシキシ言う音でアバンギャルドな音楽を挽き鳴らすのかと思っていたんですが、全然違いました。

その音は、まるでソプラノ歌手のような、滑らかで透き通る歌声そっくりな音色でした。なぜのこぎりからこんな音が?と最初はびっくりしましたよ。ちょっとまた機会があればのこぎりの演奏もじっくり聴きに行ってみたいと思います。

話は戻って、それで詩人の皆さんの朗読を聞いて、再び詩作への情熱がメラメラと燃えてきたか、という部分については否です。うん、やっぱり今はそこにエネルギーを注ぐ余裕がないです。

でも最後に披露された、堀内さんと森原さんが別個の詩をそれぞれ掛け合いで読んで、男女それぞれのモノローグのようなものがなんとなく一つの世界を形作るような作品は、ちょっと羨ましかったですね。そうそう、リスペクトし合えるような仲間とこういうのを完成させてみたかったんだよなあ、という過去の憧れを思い出してしまいました。

結局、作品も持参できず、急に何か一言でもと振られて、しどろもどろの感想を述べただけに終わりましたが、まあそれでも参加させてもらえて良かったなと心から思いました。何より、自作の詩集を何冊も上梓されているような詩人の方に、今でもこうやって気にかけてもらえているというのは、とても有難いことです。お会いする度に、「あなたのような若い人に頑張ってもらわないと」と言われ「いやいや全然若くないですから」と返すのですが、何故そう言われるのか、今日ちょっとわかったような気もします。

終わりのない駅伝大会みたいなもんだから、タスキを持ったままリタイヤしちゃいけないんですよ。多分そういうことなんです。終わりのないフットサルの試合みたいなもんだから、シュートを繰り出すかパスを送るかしなきゃいけないんですよ。多分そういうことなんです。今すぐは無理でもね。

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