やっぱり約束しとったんだからさあ、予定通り集まっておきませんか? と思い切って告げてみたら、同じようなことを考えていらっしゃったのか、そうよねぇそうした方がいいよねぇ、と返事をもらったので、予定通りのその日である今日を待っていました。
そしてどちらがということもなく自然に、いつもの場所へ迎えに行こうと意見が合い、車で遠回りしてそこからいつものファミレスへと向かいました。この時間にこの辺りを走るのもこれがきっと最後でしょう。
車を運転するMさんとわたくしを含めた3人で2〜3週おきに集まっていた食事会を、木曜日に集まるのでいつしか木曜集会と名付けていました。今日がその木曜集会最後の日です。最後って言っちゃうと勿体ない気もするのですが、定期的に次回の予定も決めて、というレギュラー番組のような形式は今日で終わり。今後は何かの折に特番のような形で集まろう、ということです。
3人での木曜集会が定着してからでも早や何年も経ちます。それ以前は4人、もっと前は5人6人7人…20人近い時もありました。元々は木曜だけじゃなくて平日毎日という時期もありましたし、さらに土日にも遠出のイベントを組んで連れ立って出かけていたこともありました。
そもそもいつからだっけ、こんな風に集まるようになったのは、という辺りからMさんとの話は始まりました。テーブルの上には各々の食事と、好きだったピザとフライドポテトを追加。取り皿を一枚用意した上で分け合って。
Mさんが昔の懐かしい写真を持ってきてくれていて、そういうのも見せてもらいながら、こういうこともあったね、こんな奴も参加してたよね、と思い出話に花が咲きました。こういう形で集まるようになってからでも20年近く、それ以前の付き合いも含めると30年にもなるので、時系列もぐちゃぐちゃになった記憶を、ああでもないこうでもないと広げてある意味カオスな集会になってしまいました。
楽しい思い出ばかりを思い出してそればっかり話したかったけれど、なぜかやっぱり、こんなとんでもない奴がいてみんながブーイングの嵐だったよねえ、とか、あの人が排除された理由って何だったっけ? というような話にも及んで、あーっ!せっかく綺麗さっぱり忘れていたのに顔と名前を思い出してしまった! というような話題の方が多くなってしまったのはご愛嬌、なのでしょうか。
思えば最後の3人の中に自分が含まれていることって、奇跡とまでは言いませんが何故残っていたんだろう、というのは不思議に思ったりします。それぞれの生活の事情で離れざるをえなかった人もいれば、残る者の総意で絶縁状を叩きつけられる場合もあったので。わたくしだってこんなにひん曲がった性格ゆえ、不愉快な思いをさせる場面もあったろうに…。まあでもそれは、この場で「付かず離れずのバランスをとる」ことを学んだ成果とでも言えるのかもしれません。
3人になって、あと一人誰かが抜けたらこの木曜集会も終わるのかなあとはぼんやり考えていましたが、それは誰かの結婚とか引越しとかであって、この時期にこんな形で終わるとはMさんもわたくしも想像していませんでした。
2週前に集まったその前の日、珍しく「明日は集まれる?大丈夫?」と念押しのメッセージが届きました。その日、本当はその2週前に集まる予定を立てていたのですが、当日Mさんの急な仕事の事情で1週延期、次の週はわたくしの胃腸炎のせいでさらに1週延期となってしまっていて、4週ぶりに集まるということになっていたのでした。わたくしもMさんも単に、これだけ間が空いちゃうと申し訳ないから何が何でも集まれるようにしますよと返答したのですが、そこで無理矢理にでも4週ぶりの木曜集会を決行したことが、こんなに意味のあることになるとは思いもしませんでした。
前回の帰り際、じゃあ次回は2週後の3月9日ね!と言った時に、こういう形の最終回というのをご自分で知っていたのか、永遠に解ることはないのですが、でも集まりたかったのは本心だよね、と天井を見上げてそこにふわふわしているだろう存在に時々語りかけつつ話し込みました。
そしてふわふわしているあの人をさっきと逆のルートで送り届けてから、Mさんの車に自宅まで乗せてもらいました。Mさんともしばらくは会う機会がなくなるだろうなあ、と思いましたが、そもそもMさんはじめこの30年の中で結構な割合の人たちは、あの人がいなければ繋がることなどなかった人たちなので、まずそのことに感謝しないとなあ、と痛感した次第です。
あんな風な2週後の木曜日はもう来ません。けれど2週後に木曜日は必ずやって来ます。なんだか複雑な気持ちですが、新しい木曜の過ごし方に早く慣れていこうと思います。