四月に挙式した友達夫妻をお祝いする席をようやく持てました。本来は披露宴に招待されていたので出席するはずだったのですが、身内の不幸ごとで叶わなくなったお詫びを兼ねての宴席です。初対面の奥様とも、気さくな方だったので楽しく会食が出来ました。順調に幸せな新婚家庭を築いているようで何よりでした。
話を聞いたり、写真を見せてもらったりする限り、とても素敵なお式だったようで、折角ご招待を受けたのにそこに参列出来なかったのは非常に残念に思いましたが、やはり仕方なかったんだよなあと思います。
今日こうやって、彼らに会ってお祝いをするまでは、ここでも多少ぼかした書き方しかできませんでしたが、3月末に祖母が他界し、先週ひとまず四十九日法要を終えて忌中期間が明けたところなのでした。
宗派であったりとか、いろいろな考え方があるので、どれが正しいとかは一概に言えないのですが、やはり四十九日が終わるまでは慶事の場へ列席するのは控えるべきであると考えましたので、ようやくお祝いをすることができた次第です。
身内ではなく友達なのだから、そういうのは気にせず参列すべき。しかも間際なのだから式場へのキャンセル手続きなどでも迷惑をかけてしまう、というような考え方もあるのだというのはネットで色々と検索して知りました。
一方で、やはりそれはご本人たちに失礼にあたるとか、ご両家の親戚の中に一人でも不快に思われる方がいるといけないので控えるのが常識であるとか、正反対の意見があったりして、どうするのが最良なのかはかなり悩みました。気にしなければいい、のかもしれませんが気にする人がいた場合どうすべきかと延々考えているうちに、一番気にしているのは自分自身で、それなら最も重大な任務である「笑顔で祝福するために参列する」ということが遂行できないのではないかと気づいたのでした。
それはさておいて、遅ればせながらのお祝いの会食をセッティングしたので、もうひとつ忌中が明けたという意味で、今日は久しぶりに、日課であった朝の神社散歩を再開させました。
あれ?身内に不幸があったら喪中で1年間は鳥居をくぐってはいけないんじゃなかったっけ?と思われた方もいるのではないかと思います。今日書きたかったのはそのことなのです。
現代ではあいまいになっていますが、明治時代までは服忌令という法律があって、近親者が亡くなるとどれだけの日数を喪に服すかというのが決まっていたのだそうです。
さすがにその法律は今では無くなりましたが、今でもしきたりとしては、忌中、喪中という考えは残っています。その忌中と喪中って似たようなもんじゃないの?と思う方も多いと思いますが、実は全然違うものなのです。
忌中というのは、死を穢れだと考え、それが伝染してしまわないように、穢れを祝いの場に持ち込まないようにするという考えから生まれたものです。昔は自宅から出ることも控え、忌中が明けるまでは社交的な場には一切出なかったのだそうです。
対して喪中というのは、亡くなった人を悼み身を慎んで社交的な行動を避けるようにする期間です。忌中は死という穢れを移さない為の自粛、喪中は死者に対する哀悼の意を表す自粛という感じの違いですね。
そしてその違いをどこでどうつけるかと言うと、仏教においては四十九日が主流のようです。この日までは亡くなった方の魂は霊なのですが、四十九日で仏様になります。それまでの期間を忌中とすることが多いようです。
四十九日で納骨を済ませたりして、法要も一段落するわけですが、そこから一周忌までの間が喪中ということになって、悼みながら慎ましやかに生活するのだそうです。
それで、仏教のお寺というのは、本来死を穢れとは考えないので、参拝することは全く問題ないそうなのですが、神道では参拝はおろか、家庭内でも神棚に半紙を貼って隠したりするほど、死を穢れとして避けて扱うのです。じゃあ同じく四十九日が過ぎれば境内に足を踏み込んでも大丈夫なのかというと、厳密には神道では四十九日という法要はないので、一日多い五十日で忌が明けたということになります。
それつまり50日経ったら、参拝してもいいよ、鳥居をくぐっても何の問題もないよ、ということなのです。忌中と喪中の違いがわからないまま、喪中だから1年間は神社の参拝をしてはいけないと考える人もいるようですが(まさにうちの親がそうでした)、基本的には四十九日が明けたら忌中ではないので神社をお参りできるのです。結婚式等のおめでたい場に参列するのも、忌明け後ならOKなのです。年賀状は喪中の間は我慢しなければなりませんが。
ということで忌中と喪中についてあれこれ調べたことを書いてみました。ややこしくて面倒臭いという印象を受けるかもしれませんが、こういう昔からのしきたりのようなものは覚えておきたいものです。