一区切りと一悶着とで我が家は無計画に何処へ向かうのか

田舎から松山へ帰ってきました。それほどハードスケジュールではないはずなのですが、いくら家族とは言え、考え方も行動パターンもバラバラの大人5人が一緒に動くとなると、意思の疎通がうまくいかなくて事がスムーズに運ばず、どっと疲れます。いくつになっても親と子、ですが、おんぶされていた頃とか食べ盛りだった頃とかとは、お互いの体力や健康状態も全然違うんですよということが、解っているようで解っていないんですよね。

今日も体面上はどうにかすべき事を滞り無く済ませて、どうにか一段落したねお疲れ様、で済むところだったのですが、実家の片付けの事で一悶着あって、イライラしたまま解散となりました。なんでそれを早く言わない、というようなことを唐突に言い出されて、しかもそれは今すぐやるべき事なのか?するならもっと早くからすべきだったんじゃないのか?今更それは無駄骨になるだけじゃないのか?コスト面から考えてもあまり意味の無い投資になってしまうんじゃないのか?というような怒りがふつふつと沸いてきました。

こちらが、将来的な事を考えるとこうしたほうがいい、と言った時には全く協力もしてくれなかったのに、同じ案件について、もう手をつける余裕が無くなった時期になって急に掘り返し、どう考えてもその解決策は解決にならないよ、という方策を相談も無く勝手に考えて無計画に手を付け始めてから「こうする」と言われても、「んなこと急に言われてもできねぇよ。それならどうぞご勝手に」としか言えないんですよね。まあ家のことなので、ここに書いてもどうしようもないのですが。

しかし、自分のこの計画性の無さは親譲りなんだなあとつくづく思いました。行き当たりばったりでたまたま運良く渡り歩けているだけじゃないか、と。まあそれは裏を返せばしぶとい生命力と強運で大成しなくてもどうにか生き存えてはいけるという有り難いことではありますが。反面教師、というのは言い過ぎかもしれませんが、譲り受けた自分の習性を客観的に眺めて、改良できるところは改良していきながら自分の人生を歩んでいけばいいのだろうなあと思いました。

親族のことの区切りがひとつついて、ちょっとのんびりできるのかと思いきや、やっぱりそうはいかないようですね。歪みが生じるほど先延ばしにしてきた様々なことを、少しでも片付けていけるように黙々と立ち向かおうと思います。

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