追悼番組を聞いたり、仲間と連絡を取ったり、様々なことを思い出しながら、お見送りするための心の準備をしている

普段と違う仕事を引き受けるために、今日は朝から夕方まで働きに出ていました。普段のような得意先事務所で一人留守番だったり休みだったりしたら、昨日の訃報のショックで何にも手をつけられず呆然と過ごしていたかもしれません。やるべきことがあっただけ、却って良かったかもしれません。

自分の気持ちの問題もあったし、プライバシーの事も念頭にあって、昨日は師匠のような存在の人、とぼやかして書いたのですが、今日メディアでも公表されたので故人への敬意も込めて記しておきます。その師匠のような方というのは、南海放送やFM愛媛でラジオ番組を担当されていた事もある林浩彦さんです。今夜の南海放送ラジオでは、かつて一緒に番組を作られていた現社長の田中和彦さん自らがマイクの前に座り、追悼ラジオ特番をオンエアされていました。仕事の同志を失っての生放送は、さぞ辛かっただろうなと思いながら、わたくしも時折涙を滲ませながら聞いておりました。

わたくしと林さんの出会いも、そもそもはラジオ番組を通じての、DJとリスナーという関係から始まったものでした。ハガキを送って読んでもらって、公開放送で対面して、番組を通じての仲間と知り合って交流を持つようになって、それから仲間たちが仕事や家庭を持ったりする中で一人抜け二人抜け、で最後まで残った中にわたくしも居た、という感じで今に至りました。

プライベートに踏み込み過ぎもせず、付かず離れず、ただラジオ番組の延長のような笑える話をするために定期的に集まっていたような、ちょっと特殊な関係でした。なので、仕事や音楽活動を通して林さんを知る人たちとは、ちょっと見え方が違うというか、彼らには知らない林さんの一面をわたくし達は見ていたと思うし、逆にわたくし達にはあえて見せないようにしていた一面もあると思うんですね。

そしてその特殊さゆえ、わたくしが想像していたよりもずっと、林さんはわたくし達に会うことを、楽しみにされていたんだということに今頃気づかされました。林さんは多分、ご自分の命が燃え尽きる寸前であることを悟られていて、その時が来る前にどうしてもわたくし達と普段通りのバカ話をして笑ってから旅立ちたいと願っていたんだと思います。だから先週何が何でも会いたいという意志を珍しく感じさせるメッセージを送ってこられたんだなと、やっと理解しました。だったら雑用なんか放ったらかしといて、あと30分でも早く駆けつけて、1回でも多く笑わせてあげればよかったな。悔やめば悔やみきれませんが、それでも望まれたような「普段通り」の思い出を手土産に持たせられたことは、良しとすべきなのでしょう。

うん、やっぱり思考がうまくまとまりません。ここまでが精一杯ですね。明日は告別式だとアナウンスされていたので、都合をつけて参列しようと考えています。ちゃんとお見送りできるといいなあ。

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