バッタリ指数は高まっている。ならばどうすればいい?

昨日書いた目の周りの痛みというものは、夜ぐっすり寝たらすっかりとれました。やはり昼間にパソコンなどで目を酷使していたのが原因のようです。いえ、正直に申しますと電車の中でゲームに夢中になってしまったからです。以後気をつけます、はい。

今日も天気が悪かったので電車移動にしましたが、そのお陰で今日は、しばらく会ってなかった知り合いに街でバッタリ会いました。それも二人も。

わたくしはずっと、そういうふうに友人知人と久しぶりに街でバッタリ会うことを、ひとつのジンクスと捉えています。こういうのが続くと「バッタリ指数が高くなる」と言ってて、それは停滞していた物事が良い方向に動く兆しなのだと(少し無理矢理に)信じ込んでいるのです。

もう二度と顔も見たくないような嫌な奴、にバッタリ会う事もありますが、そういうのはバッタリ指数の高まりにはカウントしません。あくまでも、顔を見て嬉しくなる友人知人。そしてその指数が高まると、不思議なことにそういうことが何日も続いたりするのです。そして、やっぱり会って嬉しい人だから元気をもらえるし、その心持ちによって運気だとかオーラだとかいうような感じのものもいい方向に運ぶのだろうと勝手に思っています。

今日会った一人目は、昔世話になった人で、以前は詩人として、今は俳人として活躍されている方です。本業はデザイナーだったり編集者だったりするようですが。お互い急いでいたので、今日は挨拶しただけですが、それだけでもなんだかバイタリティーを分けてもらったような気分になりました。

もう一人は、主催していた朗読会にもよく参加してくれていた仲間の女史で、わたくしがiPod画面に釘付けになっていたところを、わざわざ呼び止めて話しかけてくれたのです。昨年転職したお仕事も、いろいろありつつも順調にこなし、余暇時間にはそれまでやりたいと思っていた習い事などを多種多様にこなしているのだということを話してくれました。

彼女も音楽だったり華道だったり文芸だったりと色々なことに興味を持ってチャレンジする才媛なのですが、最近はパン作り教室と句会にも参加するようになったのだとか。これまた活発だなあと感心しながら、この二人ともにいきなり共通ワードとして浮上してきた「俳句」に、何か引き寄せられつつあるのかもなと気になりました。

詩とか短歌とかは足を突っ込んで多少褒められたことはありますが、俳句はそもそも興味が無いこともあって(だって字数が全然足りないので)全く挑戦する気にはならなかったのです。まあでもここは俳句大帝国松山。避けて通れない何かはあるのかもしれません。

才媛女史が、もう残された人生に限りがあるから、やりたいと思う事はやれるだけやっておこうと思って順番つけてとか話しているのを聞いて、ああ、それそれ、同じように思った事もあったけど、自分のやりたいことって何だったっけなあと、ふっと頭の中が白くなってしまった瞬間がありました。

やりたいことをやろうとしてたはずなのに、何やってんだろう自分?って思ってしまうことばかりなんですよね困った事に。

それで、夜になって、今度はあらかじめ会う約束をしていた知人と落ち合って、少し話をしていました。ある音楽グループのまとめ役をしている彼は、厄介な組織的な雑用を背負いながらも、このグループでこんなことをやってみたいなあと思っているんだけれど、という密かな野望を聞かせてくれました。メンバーの中にもなかなか賛同者(理念的なことではなく実務的なレベルで)がいないので半ば無理かとぼやきつつも、その無理を潰す為にどうしてやろうかというところもぼんやりと考えているようでした。

なんだよ、自分が一番なんにも考えずにただ停滞しているだけじゃないかと、大いに暗くなりましたが、それでも希望のお裾分けをこうやっていろんな方々から頂いて今を乗り切っているわけであります。

とにかくバッタリ指数は高まっております。あとは自分がその機をどうするかなのです。ほんとそれ。

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